ジミ・ヘンドリックス「レッド・ハウス」ブルースなギターを浴びるほど聴きたい♪
1st『アー・ユー・エクスペリエンスト?(Are You Experienced)』 (1967年) より。
Santa Clara 1969
Ah yeah!
あの向こうに見えてる、赤い家。
俺のイイ娘が住んでるのさ。
ああ、、あの向こうに見えてる、赤い家。
ああ、、俺のイイ娘が住んでいる。
俺は、ずっと会いに帰っちゃいない。
99日と半日。。。
ちょっと待てよ、、何かが違ってる。
この鍵じゃ、扉は開かないだろう。
ちょっと待ってよ、、何かが違ってる。。主よ、どうかご慈悲を。
この鍵じゃ、扉は開かないだろう。
何かが起っちまってる。
ひどく悪い気がするぜ。
もはや、あの娘は、住んじゃいないってことか。
やれやれ、俺は向こうに戻ってみる方がよさそうだ。
丘の上まで帰る道を、、
それこそ、やるべきこと。
ああ、、俺は向こうに戻ってみる方がよさそうだ。
丘を横切って帰る道を、、
だってさ、たとえあの娘が、もう俺を愛してなくても、
彼女の妹が、いるだろう。
Yeah
rel="noopener noreferrer" Lyrics : Jimi Hendrix "Red House"
アー・ユー・エクスペリエンスト? [ ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス ]
posted with カエレバ
色んなギタリストがカバーしている。。。うーん!やはり、本家で!!
「Red House」英語版Wikiによると、、、
ジミ・ヘンドリックスによって書かれた曲で、1966年に、
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスによって最初に録音された曲。
エクスペリエンスのベーシスト、ノエル・レディングによると、
ヘンドリックスは高校時代のヘンドリックスのガールフレンド、
ベティ・ジーン・モーガンのことだと語った。
ジミの兄弟、レオン・ヘンドリックスもベティ・ジーンのことだと
感じていた。家は茶色だったが、妹のマディも含まれていた。
シャドウィックは、この曲はキース・リチャーズの当時の
ガールフレンドでヘンドリックスの初期のサポーターだった
リンダ・キースにインスパイアされたものだと示唆している。
キースは、赤いベルベットの壁と装飾が施された、
友人のマンハッタンのアパートを「赤い家」と呼び、
2人は 1966 年の夏の間、頻繁にそこに滞在していた。
1970 年にロンドンでヘンドリックスはキースと出会い、
1970 年のワイト島フェスティバルで「レッドハウス」を演奏したとき、
彼はその曲を彼女に捧げ、歌詞に
「僕のリンダはもうここに住んでいないから、ここから出なければならない」
と付け加えた。
しかし、長年の友人であり、ヘンドリックスのポスト・エクスペリエンス・グループの
ベーシストであるビリー・コックスは、次のように説明している。
「私の知る限り、『レッド・ハウス』は特定の人、場所、または物に関して
何の意味も持っていなかった。ジミがまとめた単なるブルース・ナンバーだ。」
ああ、、、ゲイリー・ムーアも捨てがたい。。。
エアロスミスの武道館ライブで見たジョー・ペリーも良かったなぁ。
しかし、どのギタリストも、ソロ長ーい長ーーーい。。。そんな曲です!?笑)
今朝、寝ぼけ眼で鏡をみたら、髪がひどい寝ぐせ。アンテナが立っていた?!
忙しいのに、笑ってしまった。色々手を尽くしてみたが、ひどく頑固だった。
まあ、いっか!!冷たく澄んだ朝の空気に、勝手に跳ねてる私の髪の毛♪♪♪
アンテナのおかげで、朝から見事な富士山を見れた。真赤な夕陽も見つけたよ☆
燃えるような真っ赤な夕暮れを見た。空と街、全てが、紅に染まっていた。
晩秋の夕暮れ時には、渋すぎる?ブルースが、あまりに相応しい気がした♪
(2008.11.19の投稿に、和訳を追記しました。)
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