スティングの「ラシアンズ」♪♪
『ブルー・タートルの夢(The Dream of the Blue Turtles)』(1985年)より。
ヨーロッパとアメリカでは、
ヒステリーな感情が育っている。
すべての脅威に対応することに、慣れきって。
ソビエト連邦政府の美辞麗句なスピーチで、(※1)
フルシチョフ氏は、我々が、君らを埋葬すると言った。(※2)
この見解には、同意しかねる。
そんなことは、無知な行動となるはず。
ロシアの人々も、子供たちを愛しているのならば。
どうすれば、小さな少年を救えるのか?
オッペンハイマーの致命的なオモチャから。(※3)
常識の独占などありえない。
政治的な塀のどちらの側にも。
我々は、生物学的には同じなんだ。
イデオロギー(政治・経済の基盤となる思想)を超えて、
あなたに語りかける時、僕を信じてくれ。
ロシアの人々も、子供たちを愛していると願ってる。
歴史的な前例はない。
大統領に言うべきことを伝えるということ。
勝ち目のある戦争などというものはないのだ。
もはや信じられない虚言。
レーガン氏(※4)は、我らが、君たちを守ると言う。
この見解には、同意しかねる。
あなたに語りかける時、僕を信じてくれ。
ロシアの人々も、子供たちを愛していると願ってる。
我々は、生物学的には同じなんだ。
イデオロギーを超えて。
何かが、僕とあなたを救うかもしれない。
ロシアの人々も、子供たちを愛しているのならば。
※1「ラシアンズ」は、冷戦時代について描かれた曲。
第二次世界大戦後の世界を二分した
西側諸国(アメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営)と、
東側諸国(ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営)との対立構造。
軍事力で直接戦う戦争は起こらなかったので、軍事力(火力)で直接戦う
「熱戦」「熱い戦争」に対して、「冷戦」「冷たい戦争」と呼ばれた。
第二次世界大戦の終結直前の1945年2月から1989年12月までの44年間続いた。
※2Mr. Khrushchev:ニキータ・フルシチョフ
1956年11月18日にモスクワのポーランド大使館でのレセプションで、
西側諸国の大使に向って「あんたらを葬ってやる」との暴言を吐いたことがある。
※3Oppenheimer:ロバート・オッペンハイマー
第二次世界大戦中、原子爆弾開発の指導者的役割を果たしたため、
「原爆の父」として知られる。
※4Mr. Reagan:ロナルド・レーガン
ソ連を「悪の帝国」と名指しで非難。「力による平和」と呼ばれる
一連の外交戦略でソ連と真っ向から対抗する道を選んだ。
Lyrics : Sting "Russians"
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MVはこちらで、、、
オーケストラヴァージョンはこちらで、、、
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昨日、、スティングのメッセージとともに、公開されたようです。
「この曲が作られてから何年もの間、この曲を歌うことはほとんどなかった。
この曲が再び意味を持つとは思わなかったから。。。」
Genius Lyrics 注釈によると、、、
スティングは、ロシアの子供たちのテレビ番組の海賊版ロシア放送を見て、
「ロシア人は僕たちと同じように子供たちを愛している」と気づいた後、
冷戦中に「ラシアンズ」を書くように触発された。
そのメロディーは、ロシアの作曲家プロコフィエフによる「キージェ中尉組曲」に
基づいている。
スティングはもともとロシアでそれを録音したかったが、政府は許可しなかった。
彼は1985年に「それは親ソビエトの歌ではなく、親チルドレンである」と明言した。
スティングは1985年にレコードマガジンに語った
「東西の緊張緩和のために、もはや政治家に任せることはできないと強く感じている。
彼らは完全に無能であることが証明されている。
いわゆる鉄のカーテンの背後にいる相手と連絡を取り、彼らが人間であり、
人口統計学的なロボット化した能なしではないことを確認するのは、個人の責任だ。
だから、ソビエト連邦に行って、仲間のミュージシャンに会い、
一緒に何かをすることが重要だと感じた。
残念ながら、僕は政治家があなたの前に置いた官僚主義に直面した。
レコードを作るためにソビエト連邦に入るのは簡単ではない。
そしてこうあるべきだ。このバンドをロシアに連れて行きたい。
それは彼らを驚かせるだろうと思う…
それは親ソビエトの歌ではなく、親チルドレンの唄です。
それは僕には非常に明白な声明ですが、行われていない声明だ。
行動を開始したが、政治局を通過して制裁を加えるという政治的理由から、
実行には非常に長い時間がかかった。
僕の気持ちは、自分たちの潜在的な敵、あなたが殺すか、殺されると
予想されるかもしれないと思う人々と、接触しなければならないということだ。」
確かに、単純に題名から来る印象が、ソビエト寄りに取られたのかもしれません。
もはや、「ソ連」の方が、分からない人が多いかもしれない時代になった気もする。