レッド・ホット・チリ・ペッパーズの「アンダー・ザ・ブリッジ」🌉
5th『ブラッド・シュガー・セックス・マジック(Blood Sugar Sex Magik)』(1991年)。
Live on the Stern Show 2022
時折、俺には、パートナーなんかいないって気がする。
時折、俺の唯一の友だちは、俺が住んでいる街、天使の街だけだって感じるよ。
俺は孤独なまま、俺たちは共に泣く。
彼女は、仲間だから、俺は、彼女の街をドライブする。
彼女は、俺が誰だか知ってるから、彼女の丘を通り過ぎる。
彼女は、俺の善き行いを見て、風の如く俺にキスする。
まあ、決して心配することはない、今や、それはまやかしだ。
あの日の俺のように、感じたくはない。
けど、大好きな場所に連れて行ってくれ、最後まで連れて行ってくれ。
あの日の俺のように、感じたくはない。
けど、大好きな場所に連れて行ってくれ、最後まで連れて行ってくれ。
Yeah, yeah-yeah
あそこには、誰もいないなんて、信じがたい。
俺が、独りっきりだなんて、信じがたい。
少なくとも、俺には、彼女の愛がある、あの街、彼女は俺を愛してる。
俺は孤独なまま、俺たちは共に泣く。
あの日の俺のように、感じたくはない。
けど、大好きな場所に連れて行ってくれ、最後まで連れて行ってくれ。
あの日の俺のように、感じたくはない。
けど、大好きな場所に連れて行ってくれ、最後まで連れて行ってくれ。
Yeah, yeah yeah
Oh, no, no, no, yeah yeah
愛してくれ、あのさ、yeah yeah
(一度だけ)
ダウンタウンのあの橋の下、
多少、血を抜いた場所。
ダウンタウンのあの橋の下、
充分じゃなかった。
ダウンタウンのあの橋の下、
俺の愛のことは忘れてくれ。
ダウンタウンのあの橋の下、
俺は、人生を手放した、そうさ。
Yeah yeah
あっちへ、、
Oh, no, no no no, yeah yeah
あっちへ、、
Oh no, I said oh, yeah yeah
あっちへ、、
俺は、ここにいる。
Lyrics : Red Hot Chili Peppers "Under the Bridges"
ブラッド・シュガー・セックス・マジック [ レッド・ホット・チリ・ペッパーズ ]
posted with カエレバ
MVはこちらで、、、
ライブはこちらで、、、
「Under the Bridge」Wiki英語版によると、、、
ボーカリストのアンソニー・キーディスは、孤独と麻薬から身を守るための
苦労を振り返りながら歌詞を書き、ほとんどバンドと共有していなかった。
1991年のアルバム『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』の制作中、
プロデューサーのリック・ルービンは定期的に、アンソニー・キーディスを訪ね、
彼の新しい素材をレビューした。
ルービンは、、キーディスのノートに、「アンダー・ザ・ブリッジ」という
タイトルの詩を見つけ、心に訴える歌詞に興味を持ち、バンドの他のメンバーに
見せることを提案した。
「それは美しいと思った。 『これをやらなきゃいけない』と言ったよ。」
キーディスは、詩が感情的すぎて、バンドのスタイルに合わないと感じたため、
消極的だった。ギタリストのジョン・フルシアンテと、ドラマーのチャド・スミスに
詩を歌った後、彼らは、立ち上がって楽器に行き、それに合うビートと
ギターのコードを見つけ始めた。
フルシアンテは、暗い歌詞のバランスをとるために、コードを選び、
「歌詞が本当に悲しいのなら、もっと幸せなコードを書くべきだと思った」と語った。
Genius Lyrics注釈によると、、、
アンソニー・キーディスは、1990年代初頭に、極度の孤立感と孤独を経験した。
彼は、アイオン・スカイ(数年前に彼の元を去った)と一緒にいた時間が恋しかった。
そして彼は、冷静さも失い、バンドメイトや友人から、遠ざかっていると感じていた。
Q Magazineの記事で、アンソニーは次のように述べている。
「友達や家族とは、何の関係もなかったし、ガールフレンドもいなかった…
俺が、把握できたのは、この街だけだった。
どんな人間よりも、俺を探していたのは、LAヒルズ、ビルだった。
この小さな歌を、独り歌い始めたよ。
時々、俺には、パートナーがいないように感じる…」
アンソニー・キーディスはRollingStone誌に、この曲に影響を与えた、
彼の人生の最低の頃について、次のように語っている。
「悲しいことに、俺は意気消沈して、ひどい状態に達していた。
ただ、通りをブラブラして、自分のことだけやってた。
俺は、小マフィアの麻薬組織に関係してる、かなりマズイヤツに出くわした、
そして、このギャングのたまり場は、橋の下のこの特定の場所だった。
俺は、結局、このギャングのメンバーと一緒にそこに行ったんだ。
この橋の下で、俺が許可された唯一の方法は、彼の妹と結婚していると、
他のみんなに話すことだった…
それは、俺自身で見つけた、数百の苦境の1つであり、薬物中毒だけが、
もたらすことができる種類のものだった。
ある場所が、他の場所よりも陰湿だったというわけじゃないが、
それが、記憶に、非常に鮮明に残っている、たったの1日だった。
なんかさ、どうすれば、そんな状況に到達できるんだろうな。」
この6月から、ワールドツアーが始まってるようです🎶
やっぱり、ジョン・フルシアンテの存在って、大きいよね。。🎸