ピンク・フロイドの「クレイジー・ダイアモンド」♪♪
11th『炎〜君がここにいてほしい(Wish You Were Here)』(1975年)より。
(Parts 1-5 , 7) [PULSE Restored and Re-Edited]
【パート1(0:00~3:53):インストゥルメンタル】
【第2部(3:53~6:26):インストゥルメンタル】
【第3部(6:26~8:40):インストゥルメンタル】
【第4部(8:40~11:08)】
若い頃を、思い出してみて。
君は、太陽のように、輝いていた。
輝いてくれ、狂ったダイアモンドよ。
今、君の瞳に、光景が見える。
まるで空に浮かぶブラックホールのようだ。
輝いてくれ、狂ったダイアモンドよ。
君は、子供の頃とスターの地位の一斉攻撃に巻き込まれた。
鋼(はがね)の如き、そよ風に吹かれて。
さーさー、遥かなる物笑いの種にされて、
さーさー、よそ者扱い、伝説となり、殉教者、そして輝く。。
真意にたどり着くのが、あまりに早すぎた。
君は、ないものねだりしていたんだ。
輝いてくれ、狂ったダイアモンドよ。
夜の影に、脅かされ、
そして、光の中にさらされる。
輝いてくれ(輝いてくれ)、狂ったダイアモンドよ(狂ったダイアモンドよ)。
うーん、君は、成り行きまかせの精密さで、愛想をつかされてしまう。
鋼(はがね)の如き、そよ風に乗って。
さーさー、快楽主義者で、先見の明のある者よ。
さーさー、画家で、笛吹き、囚われの身、そして輝く。。
【第5部(11:08~13:31):インスト】
【第6部(0:00~4:38):インストゥルメンタル】
【第7部(4:38~6:02)】
君がどこにいるのか、誰にも分らない。
どのくらい近いのか、どれくらい遠いのか。
輝いてくれ、狂ったダイアモンドよ。
さらに、幾重にも、積み重ねる。
そして、そこに一緒に行くよ。
輝いてくれ、狂ったダイアモンドよ。
そして、僕らは、昨日の勝利の影に、浸ろう。
鋼(はがね)の如き、そよ風に乗って航海する。
さーさー、少年よ、勝者であり敗者でもある。
さーさー、真実と妄想を掘り起こし、輝くんだ!
【第8部(6:02~9:00):インストゥルメンタル】
【第9部(9:00~12:27):インストゥルメンタル】
Lyrics : Pink Floyd "Shine On You Crazy Diamond"
MVはこちらで、、、
炎~あなたがここにいてほしい [ ピンク・フロイド ]
posted with カエレバ
ピンク・フロイドはあまり聴いてなかったので、全く語れませんが、シド・バレット氏、
かなり病んでたみたいですねぇ。否定されても、メンバーの愛を感じずにはいられない。
・・・2006年に、60歳で先立たれたようです。。R.I.P.☆彡
「クレイジー・ダイアモンド」Wikiによると、、、
イギリスのプログレッシブ・ロック・バンド、ピンク・フロイドの楽曲。
1975年のアルバム『炎〜君がここにいてほしい』に収録されている。
旧邦題は「狂ったダイアモンド」。
この曲は、1975年発表のアルバム『炎~君がここにいてほしい』に、
アルバムの最初と最後に分割されて収録されている。
全部で9つのパートで構成されており、そのうち「Part 5」と「Part 7」が
ヴォーカルパート。ヴォーカルはロジャー・ウォーターズが担当している。
詞はシド・バレットについて書いたものであることを
作詞者のウォーターズは認めていたが、後にそれを否定している。
曲はデヴィッド・ギルモアによるフレーズが元になっている。
最後を締めくくる「Part 9」はリチャード・ライト単独の作である。
1974年6月のフランス公演で披露され、この時は「Shine on」と紹介していた。
この時は「Part 1」から「Part 9」まで繋がった20分近い大作として
演奏されている。
1975年のツアーからは、スタジオテイクに近い形で分割にされて演奏された。
1967年にピンク・フロイドの一員としてデビューするが、
薬物中毒および精神病で体調を崩しバンドを脱退。
ピンク・フロイドの残されたメンバーにとっても、
天才的な才能で自分達を導いてくれたにもかかわらず、
業界や社会に馴染めず、精神を病んで去っていった
バレットの存在が心に重く残り続け、全盛期の彼らの作品が
圧倒的に深いテーマ性を持つ一因となったと言われる。
『炎〜あなたがここにいてほしい』Wikiによると、、、
このアルバムのレコーディング中、シド・バレット本人が
何の前触れもなくスタジオに姿を現したという逸話がある。
クレイジー・ダイアモンドのミキシングも終盤といった頃に、
でっぷりと肥えた禿頭かつ眉毛も剃り落したシド・バレットが
ビニール袋を持ってスタジオに入ってきたそうで、
作業中であったウォーターズは初めは誰だか分からなかったという。
この日の思い出をウォーターズは次のように回述している。
「シドについてはとても悲しく思う。
もちろん彼はバンドにとってとても重要な存在であり、
彼なしではバンドは歩みだすことはなかっただろう、
何故ならすべての曲は彼の手によるものだったからだ。
彼無しにはバンドは結成し得なかったであろうが、
一方で彼と共にバンドを続けることは不可能であった。
クレイジー・ダイアモンドはシドについての曲ではない、
彼はただ単に誰かがいなくなってしまったということを表象しており
その状況に甘んじなければならないという事の極端な例に過ぎない。
なぜなら現代社会ではそれがどんなに悲しくとも、
完全に心からかき消してしまうという事が唯一の対処法だ。
私はそのことがとてつもなく悲しい事であると気づいた。」