本日の1曲
アークティック・モンキーズの「アイ・エイント・クワイト・ホエア・アイ・シンク・アイ・アム」♪♪
ニューアルバム『ザ・カー(The Car)』2022年10月21日リリース。
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歌詞和訳
網膜スキャン(※1)による、奇妙なキーパッド。ずっと、信じるに値する正当な理由を与えられてきた。
俺は、自分が存在すると思う場所にいるとは言えない。
しかし、いつでも半分くらいは、楽しむ価値がある。
顔は知ってるけど、過去を知ることはできない。
つまずきの石(障害)の中、ディスコの閃光。
待てよ、今、そこに別の島がある。
愛情の陳列を編成し、飛び超えてゆく。(瞳は後退)
今、両方の島が見えるようになる。
休憩時間だ。
握手でもしよう。
うつろな表情が、俺を疑いへといざなう。
俺は、自分が存在すると思う場所にいるとは言えない。
山積み可能なパーティー客。
気まずい沈黙を埋めるためのさ
つまずきの石(障害)の中、ディスコの閃光。
待てよ、今、そこに別の島がある。
愛情の陳列を編成し、飛び超えてゆく。(瞳は後退)
今、両方の島が見えるようになる。
俺の視点から、、
やりたいようにやったら、予備の疼きが、脊椎に走るのだろう。
まるでリヴィエラ。(※2)
陸に上がっている。
早期予測は、示しているようだ。
俺は、自分が存在すると思う場所にいるとは言えない。
愛情の陳列を編成して、飛び超えてゆく。(瞳は後退)
今や、両方の島が見えるようになった。
注釈
※1retina scan:網膜スキャン生体認証技術の一種で、各個人に固有な網膜のパターンによって個人を特定する。
※2Riviera:リヴィエラ、リビエラ
フランスのトゥーロン付近から、イタリアのラ・スペーツィア付近までの
地中海沿岸地方の名称。19世紀からリゾート地として著名。
フランス側(フレンチ・リヴィエラ)は、
イタリア側(イタリアン・リヴィエラ)は、
Lyrics :Arctic Monkeys "I Ain't Quite Where I Think I Am"
ザ・カー [ アークティック・モンキーズ ]
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公式音源はこちらで、、、解説・解釈
この曲って、8月にスイスのフェスでパフォーマンスしてたようですね。それにしても、前作の宇宙から、地球に戻ったらしいんだが、この曲の歌詞って、
テクノロジー系?IT用語っぽい?お堅い単語のインパクトが、強い気もする。
色々とインタビューを読んでみると、ストリングスのことが、けっこう、
語られてるんですけど、ライブ演奏だと、ストリングス入ってるっけ?ってなる。
公式音源の方で聴くと、なるほど、入ってるわねって、分かるんですけどね。
というか、、この曲、ワウっぽい?ギターがカッコイイと思うんだけどなぁ🎸
参考・出典
こちらの記事によると、、、“I Ain’t Quite Where I Think I Am”は、
ベン・チャペルとザッカリー・マイケルが監督を務めた
ライヴ映像と共に公開されており、
これはブルックリンのキングス・シアターで撮影された映像となっている。
アレックス・ターナーはアップル・ミュージックのゼイン・ロウに
この曲について次のように語っている。
「対立とバンドとして抜け出そうとするというのがアイディアで、
その余波について議論があった気がしたんだ。
レコーディングというよりもミキシングをやっている時期に、
まとまって、道を見つけたところがあったんだ」
「あなたの言う通り、もちろんストリングスも入っているんだけど、
アイディアの一つとしてやろうとしたのは、
すべてのものにスペースがあって、順番があるというものなんだ。
なんと言っていいか分からないけど、
バンドと他のサウンドの対決ということではないんだ。
自分たちにとって重要なのは試してみて、
それと共にどこかに辿り着くということだったんだよ。
全体のシチュエーションのダイナミクスと共にね。
それはストリングスとバンドの間に留まらない。
思うに、まあ、そういう類のアイディアのほうが楽しめたんだ」
こちらの記事によると、、、
「このアルバムではSFは振り払われた。僕ら、地上に戻った」と語った。
「自分の直観に従わなきゃいけない。初期にそうしていたように。
そういう意味で、本能に従いガレージでプレイしていた20年前の
自分達に結び付いている気がする」