本日の1曲
ビートルズの「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」💃1stアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー(Please Please Me)』(1963年)より。
おすすめ動画
歌詞和訳
[ポール・マッカートニー]1 2 3 4!
えっと、彼女はまだ17歳、言いたいことを分かるよね。
そして、そのルックスといったら、類まれだったんだ。
だからさ、他の娘と踊るなんて、どうしてできる? (Oh)
彼女が、そこに立ってるのを見ちゃったらさ。
そうさ、彼女は僕を見た、そして僕、僕には分かったんだよ。
そう遠くない未来、彼女と恋におちちゃうってね。
彼女は、他のやつとは踊ろうとしないだろう。(Woah)
僕が、そこに立ってる彼女を、見てたから。
そうだよ、部屋を横切ったとき、心臓が「ブーン」って鳴ったんだ。
そして僕は、彼女の手を、この手に握りしめた。
そうさ、僕らは一晩中踊って、互いをしっかり抱きしめた。
ほどなく、僕は、彼女と恋におちたんだ。
もう、他の娘とは、絶対に踊らないよ。 (Woah)
そこに立ってる彼女を見たときからずっと。
そうだよ、部屋を横切ったとき、心臓が「ブーン」って鳴ったんだ。
そして僕は、彼女の手を、この手に握りしめた。
ああ、僕らは一晩中踊って、互いをしっかり抱きしめた。
ほどなく、僕は、彼女と恋におちたんだ。
もう、他の娘とは、絶対に踊らないよ。 (Woah)
そこに立ってる彼女を見たときからずっと。
ああ、そこに立ってる彼女を見たときからずっと。
そうさ、いい、そこに立ってる彼女を見たときからずっとさ。
Lyrics : The Beatles "I Saw Her Standing There"
プリーズ・プリーズ・ミー [ ザ・ビートルズ ]
posted with カエレバ
その他動画
ライブはこちらで、、、ポール・マッカートニーとビリージョエルが共演していた♪
ライヴ・アット・シェイ・スタジアム -ザ・コンサートー [ ビリー・ジョエル ]
posted with カエレバ
解説・解釈
映画『レインマン』の名シーンで、聴こえてきたんですよ♪兄弟(ダスティン・ホフマンとトム・クルーズ)が、この曲、唄ってたんですねぇ。
ほんとビートルズって、泣けるシーンには、いつも必然的に?聴こえてくる♪♪
参考・出典
「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」Wikiによると、、、マッカートニー=レノン名義となっているが、
主にポール・マッカートニーによって書かれた楽曲。
当初の曲名は「Seventeen」で、サウスポートランカシャーで
行なわれたビートルズのライブからの帰り道、マッカートニーが
1960年にリヴァプールで聴いた民俗音楽「Seventeen Come Sunday」を
現代風にアレンジした楽曲として考案された。
マッカートニーは、1962年10月22日の夕方に友人のロリー・ストームの
実家で、アコースティック・ギターを使用してコードとアレンジを
練り上げたとのこと。2日後、マッカートニーは当時17歳だった
ガールフレンドのセリア・モーティマーとロンドンを訪れた時に、
歌詞を書き下ろした。この約1か月後にフォースリン・ロードにある自宅で
ジョン・レノンと共に完成させ、1962年12月にハンブルクの
スター・クラブで行われたライブで演奏された。
ベース・リフはチャック・ベリーの楽曲
「アイム・トーキング・アバウト・ユー」より引用しており、
マッカートニーは「まったく同じフレーズを演奏したら、
それがうまく曲に合っていた」と語っている。
ユニバーサルミュージック チャック・ベリー/ベスト・オブ・チャック・ベリー 【CD】
posted with カエレバ
1988年のインタビューで、マッカートニーは、
「ジョンと一緒に書いた曲。学校を休んで、ギターで書いた。
「Well she was just seventeen / Never been a beauty queen
(彼女はちょうど17歳 / 絶世の美女ってわけじゃない)」
という歌詞だったんだけど、ジョンに
「何だって?それじゃ駄目だ」って言われた。初めてのことだったよ。
そこで「You know what I mean(意味わかるだろ?)」に変えたんだ」
と語っている。
レノンも1980年の『プレイボーイ』誌のインタビューで
「ポールがいつもの調子で作った曲で、ジョージ・マーティンが
「ウケ狙い」と呼んでいた。歌詞をちょっと手伝った」
と語っている。
気になる映画
映画『レインマン』はこちらで、、、 レインマン【Blu-ray】 [ ダスティン・ホフマン ]
posted with カエレバ