本日の1曲
ジョン・レノン&オノ:ヨーコの「血まみれの日曜日」🩸『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ(Sometime in New York City)』(1972年)。
おすすめ動画
Plastic Ono Band with Elephant's Memory歌詞和訳
[ジョン・レノン]そう、日曜日だったのだ、血まみれの日曜日(※1)。
あいつらが、人々を銃で撃ったとき、
13人の犠牲者の叫びが、
自由なデリー(※2)の空気に満ち溢れた。
君たちの中に、いるのか?
あえて子供たちのせいにする奴が、
血を流していたのは、少年兵士じゃない。
あいつらが、棺の蓋を釘で打ち付けたときに、
[オノ・ヨーコ]
日曜日、血まみれの日曜日。
血まみれの日曜日、まさしくその日。
[ジョン・レノン]
やれ、君は多数派だと主張してるが、
なあ、そいつは嘘だって分かってるんだろ。
実際には、君は少数派だ。
この美しいエメラルド島(※3)で、
ストーモント(※4)がデモ行進を禁止したとき、
あいつらには学ぶべきことがたくさんあった。
強制収容は解決策にはならない。
今度焼かれるのは、母親たちだ。
[オノ・ヨーコ]
日曜日、血まみれの日曜日。
血まみれの日曜日、まさしくその日。
[オノ・ヨーコ]
日曜日、血まみれの日曜日。
血まみれの日曜日、まさしくその日。
[ジョン・レノン]
ああ、おまえらアングロ(※5)豚野郎とスコットランド人は、
北部を植民地化するために送り込まれたのだ。
血染めのユニオンジャック(※6)をはためかせ、
なんの価値があるというのだ。
よくも人質をとって身代金など要求するできたものだ。
誇り高き自由な人々を、
アイルランドをアイルランド人の手に。
イギリス人を海へ戻すのだ。
[コーラス: オノ・ヨーコ]
日曜日、血まみれの日曜日。
血まみれの日曜日、まさしくその日。
[コーラス: オノ・ヨーコ]
日曜日、血まみれの日曜日。
血まみれの日曜日、まさしくその日。
[ジョン・レノン]
ああ、いつだって血まみれの日曜日。
強制収容所では、
フォールズ・ロード(※7)に、永遠に自由を。
血塗られたイギリス人の手から取り戻せ。
イギリスへ送還せよ。
ここを故郷と呼ぶ者たち、みな、
アイルランドをアイルランド人に委ねるのだ。
ロンドンにもローマにも任せるな。
[オノ・ヨーコ]
日曜日、血まみれの日曜日。
血まみれの日曜日、まさしくその日。
日曜日、血まみれの日曜日。
血まみれの日曜日、まさしくその日。
日曜日、血まみれの日曜日。
血まみれの日曜日、まさしくその日。
日曜日、血まみれの日曜日。
血まみれの日曜日、まさしくその日。
日曜日、血まみれの日曜日。
血まみれの日曜日、まさしくその日。
日曜日、血まみれの日曜日。
血まみれの日曜日、まさしくその日。
日曜日、血まみれの日曜日。
血まみれの日曜日、まさしくその日。
日曜日、血まみれの日曜日。
血まみれの日曜日、まさしくその日。
注釈
※1Bloody Sunday:血の日曜日事件血の日曜日事件 (1972年) - Wikipedia
1972年1月30日、北アイルランドのロンドンデリーで、デモ行進中の市民27名がイギリス陸軍落下傘連隊に銃撃された事件。14名死亡、13名負傷。事件のあった地区の名を取って「ボグサイドの虐殺(Bogside Massacre)」とも呼ばれる。
※2Derry:デリー、公式にはロンドンデリー

ロンドンデリー - Wikipedia
北アイルランドで2番目に大きい都市であり、アイルランド島において4番目に大きい都市でもある[5]。デリーと言う名は「オークの森」を意味する
※3Emerald Isle:エメラルド島◆アイルランドの異名
※4Stormont:ストーモントは北アイルランドの首都。
1971年、北アイルランド政府はあらゆる抗議デモを禁止した。
しかし、警察の高圧的な対応に当然ながら憤慨していた多くの人による
抗議デモを止めることはできなかった。

ストーモント城 - Wikipedia
北アイルランド行政府と北アイルランド行政府事務局がある英国・北アイルランドの首府であるベルファストの東に位置するストーモント・エステートにある邸宅である。
※5Anglo:アングロ・サクソン

アングロ・サクソン人 - Wikipedia
5世紀頃、現在のデンマーク南部と北ドイツとから、ブリテン島の東南部へ移住してきたアングル人、サクソン人、ジュート人という3つのゲルマン系部族の総称である。
※6Union Jacks:ユニオンジャック

イギリスの国旗 - Wikipedia
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国の国旗(は、ユニオンフラッグ(Union Flag)あるいはユニオンジャック(Union Jack)として知られる王室旗である。
※7Falls Road: フォールズ・ロード

ベルファスト・フォールズ・ロード - Viator (ビアター)
ウェスト・ベルファストのフォールズ・ロードは、北アイルランド紛争中、暴力的なフラッシュポイントでした。
Lyrics :John Lennon and Yoko Ono "Sunday Bloody Sunday"
その他動画
公式音源は、こちらで、、、
Sunday Bloody Sunday (Ultimate Mix / Extended)
Provided to YouTube by Universal Music GroupSunday Bloody Sunday (Ultimate Mix / Extended) · John Lennon · Yoko Ono · The Plastic Ono Band · Elephant's Memor...
解説・解釈
ジョン・レノンとオノ・ヨーコも「サンデー・ブラディ・サンデー」と唄ってたんですねぇ。血の日曜日事件から1週間後には、二人は抗議活動の仮設ステージに立っていたらしい。
どうしても、U2のこの名曲を思い出す世代なわけで、こちらは、ほぼ10年後の作品のよう。

U2 - Sunday Bloody Sunday - ブラディ・サンデー 和訳
U2『ブラディ・サンデー』
そうだなぁ、この紛争に関しては、アイルランド人の方が悲壮感なのか?説得力を感じてしまう。
楽曲的には、ファンキーな感じで、ギターソロもサックスも、カッコいい感じなんですが、
やっぱヨーコのコーラスが、かなり強烈な印象を残してるのかもしれない。
・・・というか後半は、ジョンもヨーコも奇声?を発していて、怒りを表してるのだろうか?
SNS情報
Imagine all the people living life in peace.
— John Lennon (@johnlennon) September 28, 2025
Do something about it → https://t.co/MABughXjAI
In 8 years between 2015 & 2022, over 19,000 people were shot and killed or wounded in the USA in a mass shooting. Over 1,500,000 people have been killed by guns in the USA since John… pic.twitter.com/4EbbYpofPW
ジョン・レノン @johnlennon
すべての人々が平和に暮らしている姿を想像してみてください。
何か行動を起こしましょう。
2015年から2022年までの8年間で、アメリカでは銃乱射事件により
19,000人以上が射殺または負傷しました。
1980年12月8日にジョン・レノンが射殺されて以来、
アメリカでは150万人以上が銃で命を落としています。
#powertothepeople
「サンデー・ブラッディ・サンデー」のフルバージョンビデオ公開中
SELF DETERMINATION FOR THE IRISH PEOPLE
— John Lennon (@johnlennon) September 24, 2025
John: 'Any government that doesn’t allow demonstrations like this should be put away. My name is Lennon and you can guess the rest.'
A week after Bloody Sunday, on 5 Feb 1972, in sub-zero temperatures, John & Yoko, accompanied by Jerry… pic.twitter.com/T09PkDIn4h
アイルランド国民の自決権
ジョン:「このようなデモを許さない政府は、追放されるべきだ。
僕の名前はレノン。あとはご想像の通りだ。」
血の日曜日事件から1週間後の1972年2月5日、
氷点下の気温の中、ジョンとヨーコはジェリー・ルービンに付き添われ、
ダン・リクターの助けも借りて、イギリスの国営航空会社BOACの
ニューヨーク44丁目と5番街にあるオフィス前で、アイルランド自由協会
(National Association For Irish Freedom)の
抗議活動に臨んだ。仮設ステージに立っていた。
この抗議活動は、血の日曜日事件の殺人事件を非難し、
「強制収容の廃止」を訴えるものだった。強制収容とは、
1971年8月以来、北アイルランドで実施されていた、
裁判なしで人々を投獄する政策だった。
写真提供:ブライアン・ヘロン/NAIF
参考・出典
『血まみれの日曜日』Wikiによると、、、ジョン・レノンが1972年にオノ・ヨーコと共同名義で発表した、
生前唯一の2枚組アルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』
の収録曲である。
1919年、当時イギリス領だったアイルランド島で民族主義者らが武装蜂起して
アイルランド共和国の建国を宣言したことがきっかけに、
アイルランド独立戦争(英愛戦争)が勃発した。1921年12月に休戦協定が
結ばれ、アイルランド自由国が誕生したが、アルスター地方の大半は
イギリス領北アイルランドとなり、北アイルランド問題が発生した。
1970年代初頭、アルスター地方ではイギリスからの独立を目指すテロが
日常茶飯事となっていた。1972年1月30日、北アイルランドのロンドンデリー市で、
市民権行進に参加した非武装の市民が英国軍の発砲を受けて
13人が犠牲になった「血の日曜日事件」が起こった。
レノンはこの事件に憤り、本曲と「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」を
オノと共作して、アイルランドの紛争問題を全世界に告発した。
こちらの記事によると、、、

ジョン・レノン&オノ・ヨーコ、来たるボックスセットより“Sunday Bloody Sunday”の音源が公開 | NME Japan
ジョン・レノンとオノ・ヨーコはボックスセット『パワー・トゥ・ザ・ピープル』より“Sunday Bloody Sunday (Ultimate Mix / Extended)”の音源が公開されている。...
ジョン・レノンとオノ・ヨーコはボックスセット『パワー・トゥ・ザ・ピープル』より
“Sunday Bloody Sunday (Ultimate Mix / Extended)”の音源が公開されている。
10月10日にリリースされるボックスセット『パワー・トゥ・ザ・ピープル』は
ザ・ビートルズ解散後にジョン・レノンがフルで行った唯一のライヴである
「ワン・トゥ・ワン・コンサート」が収録され、政治色が前面に出た
彼らの1972年発表『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』を
再構築・リミックスした『ニューヨーク・シティ』も収録される。
「マディソン・スクウェア・ガーデンでの演奏はキャヴァーンやハンブルク以来、
一番楽しめた」とジョン・レノンは1972年に『NME』に語っている。
「ザ・ビートルズとして音楽にのめり込んでいたころと同じような感覚になれたんだ」
「『ワン・トゥ・ワン・コンサート』は、私たちの”草の根政治”の
取り組みの一環だった」
とヨーコ・オノ・レノンは本作『パワー・トゥ・ザ・ピープル』の序文で述べている。
「あれは、ジョンと私が強く信じていた”平和と啓蒙のためのロック”を
体現したものだった。そしてあのマディソン・スクウェア・ガーデン公演は、
ジョンと私が一緒に演奏した最後のコンサートになった。
”Imagine Peace(平和な世界を想像しよう)”、”Peace is Power(平和は力だ)”、
”Power To The People(民衆に力を)!”」