ボブ・ディランの「ブルーにこんがらがって」☆彡
15th『血の轍(ちのわだち、Blood on the Tracks)』(1975年)より。
ある朝早く、太陽は輝いていた。
俺は、ベッドに寝っ転がってた。
彼女は、すっかり変わったのだろうかと考えながら。
もしも、彼女の髪が、まだ赤かったら、
彼女の家族は、言っただろう。
俺らの人生は、伴に、確実に、荒れるたろうと。
彼らは、ママの手作りドレスが好きじゃなかった。
パパの通帳は、十分足りてなかった。
そして俺は、道路の脇に立ち尽くしてた。
靴には、雨が降り注ぐ。
東海岸へと、向かっている。
神のみぞ知る、俺は、然るべき代価をずっと支払ってきた。
生き抜いてきたんだ。
ブルーにこんがらがっちまった。
俺らが初めて逢った時、彼女は結婚していた。
すぐに離婚すると。
彼女が、窮地から抜け出すのを手伝ったんだと、俺は思うよ。
けど、少し、力が入り過ぎた。
俺らは、力の限り、車を走らせたんだ。
西に、置き去りにして、
暗く悲しい夜と、離別する。
二人とも、最高だったと認めながら。
彼女は、振り返って、俺を見た。
俺が、歩いて行くとき、
彼女が、肩越しに言うのが聞こえた。
「いつかまた会いましょう、あの通りで。」
ブルーにこんがらがっちまった。
俺は、北部の大きな森林で仕事を得た。
しばらくの間、料理人として働いてた。
しかし、それほど好きじゃなかったよ。
そしてある日、斧が落ちてきた。(解雇になった)
それで、ニューオーリンズに流れ着いた。
そこで、幸運なことに雇われたのさ。
しばらく、漁船で働いてる。
デラクロワ島(※1)のすぐ外で。
しかし、俺が一人でいる間ずっと、
過去は、すぐ後ろに迫っていた。
たくさんの女たちを見てきたけど、
彼女が、俺の心からいなくなることはなかった。
そして俺は、大人になっただけ。
ブルーにこんがらがっちまった。
彼女は、トップレスバーで働いてた。
そして俺は、ビールを飲みに立ち寄ったのさ。
俺は、彼女の横顔を、まじまじと見続けた。
スポットライトに照らされて、とてもきれいだった。
その後、観衆がまばらになったとき、
俺も、ちょうど同じことをしようとしていた。
彼女は、俺の椅子の後ろに、立っていたのさ。
「教えてくれない、あなたの名前、知らなかったかしら?」と言った。
俺は、小声で、ぼそぼそと呟いた。
彼女は、俺の人相をまじまじと見つめた。
俺は、認めざるを得なかった、少しばかり不安を感じたことを。
彼女が、俺の靴のひもを結ぶために、かがんだとき。
ブルーにこんがらがっちまった。
彼女は、バーナーでストーブを点けた。
そして俺に、パイプを差し出した。
「あなた、決して挨拶しないだろうと思ったわ」と、彼女は言った。
「あなたって、寡黙なタイプに見えるから。」
それから、彼女は詩集を開いて、
それを俺に、手渡した。
イタリアの詩人(※2)に、13世紀から書かれた詩集だった。
そして、それらの言葉は一字一句、真実だった。
そして、燃え盛る石炭ように輝いていた。
すべてのページから、流れ出ている。
俺の魂の中に、書かれたかのように。
俺から、あなたへと。
ブルーにこんがらがっちまった。
俺はモンタギュー・ストリート(※3)で、みなと一緒に住んでいた。
階段を下りた、地下に。
夜、カフェには、音楽が流れていた。
そして、空中の革命(※4)。
それから、彼は、奴隷の取引を始めた。
そして、彼の内なる何かが、死んでしまった。
彼女は、自分の持つすべてのものを、売り払わねばならなかった。
そして、中まで凍り付いてしまった。
ついには、崩壊してしまったとき、
俺は、殻に閉じこもってしまった。
俺の知る、唯一の方法は、
あきらめずに、やり続けることだけだった。
飛んでった鳥のように。
ブルーにこんがらがっちまった。
だから今、俺は、再び戻って行く。
どういうわけか、彼女にたどり着いた。
俺らがかつて知っていた、すべての人々、
彼らは、今や、俺にとっては幻想だ。
数学者もいれば、
大工の妻もいる。
すべてがどうやって始まったのか、分からない。
彼ら自身の人生で、何をしているのか、知らないんだ。
しかし、俺はまだ、道の途中だ。
別の継ぎ目に向かって。
俺らはいつも、同じように感じていた。
ただ、別の観点から見ただけさ。
ブルーにこんがらがっちまった。
※1Delacroix:デラクロワ(正しい発音の最後に長い「o」が付いている)は、
釣りで有名なルイジアナ州の島。しかし、ディランは、特に『血の轍』の頃は、
19世紀のフランスのロマン主義に傾倒していた。
したがって、ルイジアナ州デラクロワは、ニューオーリンズの近くにあるが、
象徴主義者の主要なインスピレーションであった画家ウジェーヌ・ドラクロワが
ディランにインスピレーションを与えたため、最初にその名前に固執した可能性がある。
※2ダンテ・アリギエーリのこと。 彼女はおそらく、彼のベアトリーチェであり、
彼の心を決して離れなかった女性だった。
※3Montague Street:モンタギュー・ストリート
(著名なフェミニスト/活動家のメアリー・ウォートリー・モンタギューが由来)
ブルックリンのブルックリンハイツにある主要なショッピングと住宅の大通り。
※4revolution in the air:空中革命は、60年代への明白な言及。
反(体制)文化、物事を変えようとし、政治的に活動すること。
Lyrics : Bob Dylan "Tangled Up In Blue"
血の轍 [ ボブ・ディラン ]
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ライブ音源はこちらで、、、
ローリング・サンダー・レヴュー [ ボブ・ディラン ]
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この文芸小説感が、やっぱり、ノーベル文学賞なんですよねぇ。。我が未熟さが歯がゆい!
この邦題『ブルーにこんがらがって』って、すっごい気に入ってしまったんですが、、
ここ数日、なぜか、大作続きのチョイスで、、頭がこんがらがっちまったよ?!(笑)
「Tangled Up in Blue」Wiki英語版によると、、、
この曲は、1974年の夏にディランがバンドとのカムバックツアーを行い、
1965年に結婚したサラ・ディランとの離婚後に書かれた。
ディランは兄のデイビッド・ジマーマンと一緒にミネソタ州の農場に引っ越し、
そこで彼のアルバム『血の轍』のために録音された曲を書き始めた。
1974年の春、ディランはカーネギーホールで美術の授業を受け、
彼の家庭教師であるノーマン・ラーベン、特に歌詞を書くときの時間観に影響を受けた。
1978年のインタビューで、ディランはこのスタイルの作詞作曲について説明した。
「違いは、歌詞にコードが入っていて、時間の感覚もないことです。
それに対する敬意はありません。昨日、今日、そして明日はすべて同じ部屋にあり、
起こっていないことを想像できないことはほとんどありません。」
小説家のロン・ローゼンバウムによると、ディランは、週末に、ジョニ・ミッチェルの
1971年のアルバム「ブルー」を聴いた後、「ブルーにこんがらがって」を書いたと語った。
ディランはアルバムがリリースされた後も歌詞とアレンジを継続的に作り直した。
彼の1978年のワールドツアー中に、「彼女は詩集を開いた」から始まる行は
「彼女は聖書を開いて俺にそれを引用し始めた」になり、
ディランのキリスト教への改宗の最初の公的な指標の1つになった。
1984年のヨーロッパツアーを通じて演奏されたRealLiveのバージョンは、
以前のバージョンとは根本的に異なる構造と歌詞を持ち、ロマンスをより冷笑的に見ている。
ディランは1985年に、オリジナルよりも曲に複数の視点を実装することに
満足していると述べた。
ディランは、この曲は「生きるのに10年、書くのに2年かかった」とよく言っている。